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「楠水ギャラリー」は「本庄の大楠」を描く福岡在住の画家、嶋田隆の作品・資料・プロフィール・エピソード等を紹介している公式ホームページです。
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題名 |
「四季の大樟」説明の右半分(前半) |
制作年代 |
1977年 |
書 和紙(巻紙) |
画題 天然記念物本庄の大楠の近くで生れ、朝夕その姿を眺めつつ成長、 小学生の頃より、その姿に魅せられ、以来五十余年、この度、今まで描いてきた大楠から季節や方位等々異なるもの四点選び額に入れ「四季の大楠」と題した。 由来 旧記に「景行天皇土賊御征伐のため九州御巡幸、長峡(ながお)の宮におわせしとき、三里がほど南に常盤木を植えさせられ、賊平定の験とし給う」とある。 |
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題名 |
老楠枯死免るの記 |
制作年代 |
1981年 |
A3 |
常緑樹である樟も葉が生え変わります。そのときは、樟全体が新芽で燃え立つような色になります。しかし、決して丸坊主になることはないのです。「樟の葉が落ちる」ことほどびっくりしたことはありません。1900年もの時を過ごしてきた大樟ですから、時には事故にあったり、病気になったりもするでしょう。1902(明治34)年の火災では、九死一生を得ました。その後大樟は一の枝が奇跡的に芽吹き、80年近くかけて大きく復活しました。しかし、人間と同じように、樹にも永年の疲れが出るのでしょう。1980(昭和55年)、大樟は、とうとう葉を落としてしまいました。 |
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題名 |
漢詩(一首目) |
制作年代 |
1996年 |
色紙 |
大意)霊峰は屹立して屏山を従え 清水は遠く流れて綱敷の湾にそそぐ 秋雨や春風が幾年過ぎ去ろうとも 神樹である老樟は永遠に不滅である
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題名 |
漢詩(二首目) |
制作年代 |
1997年 |
色紙 |
大意)景行天皇お手植えの大樟は 樹齢千歳を超え盤根を張るに至った 神宮造営の儀式を行う杜は鬱蒼と繁り 今も新葉が香っている |
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題名 |
漢詩(一首目) |
制作年代 |
1998年 |
色紙(扇面) |
霊峰は屹立して屏山を従え 清水は遠く流れて綱敷の湾にそそぐ 秋雨や春風が幾年過ぎ去ろうとも 神樹である老樟は永遠に不滅である この巨木を育んでいるのは大きな自然の力。大樟は四方を山に囲まれ、九州の山々の中でも特に修験道の聖地として名高い英彦山(ひこさん)と求菩提山(くぼてさん)を仰ぎ見るといった地形に位置しています。城井川(きいがわ)の本流と支流が老いた巨木を囲い込むように流れ、水が根元を潤しその川は周防灘の入り江に向っていますが、そこは、菅原道真公をお迎えした折、漁師が綱を巻いて御座にしたという言い伝えから綱敷湾(つなしきのわん)と呼び習わされています。 |
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題名 |
漢詩(二首目) |
制作年代 |
1998年 |
色紙(扇面) |
景行(天皇)お手植えの大樟は 樹齢千歳を超え盤根を張るに至った 神宮造営の儀式を行う杜は鬱蒼と繁り 今も新葉が香っている 本庄の大樟は、その昔、12代景行天皇(けいこうてんのう: 在位西暦71〜130年)
が熊襲(くまそ)征伐のために九州においでになった際、お手植えになったとの言い伝えがあります。大分県にある宇佐八幡神宮の造営に際しては、この地から木材を調達しましたが、その際、大楠神社では神事を行い造営の安全を祈願しています。樹齢1800年とも2000年とも言われている「本庄の大樟」は、幹周り25メートルに近い日本三大樟のひとつです。 |
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題名 |
楠水画廊建築の記 |
制作年代 |
2001年 |
B4 |
洋子は使いやすい台所に立つのが夢、私は作品を集めた展示室を持つのが夢でした。二人の夢をかなえようと、2000年夏、洋子が自ら設計した台所の工事がスタートしました。しかしその完成を待たずに妻は旅立ってしまいました。残された私は洋子と自分の夢を実現させるために、作品を展示する部屋を作ろうと決意し、自ら「楠水画廊」と命名しました。 |
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