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「楠水ギャラリー」は「本庄の大楠」を描く福岡在住の画家、嶋田隆の作品・資料・プロフィール・エピソード等を紹介している公式ホームページです。
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題名 |
女性像 |
制作年代 |
1936年 |
画材 |
油彩 |
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版画 |
師範学校時代、油絵の手ほどきを受けていた頃描いた絵です。当時はよく木の板に描きました。たくさんの板画は永年の間に紛失し現存しているのはこの1枚だけになりました。 |
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題名 |
鎮守の森 |
制作年代 |
1957年 |
画材 |
水彩 |
号数 |
8 |
「鎮守の森」の原画となった水彩画です。この絵を見た日本画の小野茂明画伯(日展会員)は、構図をほめてくださいました。「とうしゃく」と「お茶の木」の位置がよい、あぜ道の曲り具合がグランドピアノの背のように湾曲しているのがよい、森の木々がバイオリンやチェロのような楽器を連想させる形でよいと評し、この絵を日本画で描き、県展に出品してはと勧めてくださいました。この森は別名「さかいもり」といい、築城町内に現存しています。 |
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題名 |
香春岳 |
制作年代 |
1978年 |
画材 |
油彩 |
号数 |
10 |
香春は、「かわら」と読みます。香春岳は、福岡県田川市にあり、古くから石灰岩の採掘で知られています。「炭鉱節」として有名な山で地元のシンボルとして大切にされてきました。この絵が描かれた当時はまだ、このように頂がありましたが、現在はこの山の半分ほどの高さまで採掘が進んでいます。 |
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題名 |
城井殿様の墓 |
制作年代 |
1978年 |
画材 |
油彩 |
号数 |
4 |
城井(きい)の殿様というのは、江戸時代に築城町周辺を統治していた宇都宮鎮房公。戦国時代が終る天承16(1588)年、豊臣秀吉に滅ぼされてしまいました。その菩提を弔っているのは、「本庄の大樟」から程近い天徳寺という禅寺です。お家断絶になってしまった宇都宮一族のそれぞれの墓石には、長い年月の間に「討たれた時の刀傷」のようなヒビが入ったと伝えられています。 |
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題名 |
英彦山遠望1980 |
制作年代 |
1980年 |
画材 |
油彩 |
号数 |
50 |
築城(ついき)駅から寒田(さわだ)へと続く20キロほどの狭い谷が、大樟のある城井(きい)谷です。四季折々の風情が楽しめるこの谷間には、英彦山(ひこさん)という山が真正面にそびえています。九州の修験道として有名な山で、城井谷からは峠を越えて行くこともできます。その下には、私が「本庄富士」と名づけた低い山が画面の右側から張り出しています。城井川が、谷間の田畑を潤しながら蛇行して流れています。私は当時勤務していた城井中学校の屋上に上がってこの絵を描きました。
所蔵:片山医院所蔵 |
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題名 |
戸畑祇園:回る火の山 |
制作年代 |
1983年 |
画材 |
油彩 |
号数 |
50 |
この年、全日本美術協会のフォーカス作家選抜展で出されたのは「にぎやか」というテーマでした。当時、北九州市戸畑区に住んでいた実弟に何かいい画題はないかと相談したら、戸畑の提灯山笠を見てはどうかと誘ってくれました。弟と二人、勇壮な山笠が動くさまを感動を持って眺めたのはいい思い出になりました。 |
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題名 |
小倉城B |
制作年代 |
1984年 |
画材 |
油彩 |
号数 |
50 |
全日本美術協会のフォーカス作家選抜展では、毎年共通テーマを出していました。今回のテーマは「今と昔」。2年前はじめて描いた小倉城(右ページ)が好評だったので、もう一度城を描きたくなりました。今と昔の対比は松で表現することにしました。城の左側には老いて朽ち果てた松と、若い松が並んでいます。 |
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